TOPページ恋愛コラム第四十七回 「ロンリーワン、悲しみの青春-大学受験編-」 


第47回 「
ロンリーワン、悲しみの青春-大学受験編-」 
                                                         11月3日執筆


  暗黒時代

 人は誰しも決して振り返りたくないような過去や、閉ざされた心の闇があるといいますが、
 私にとっての暗黒時代は大学生活でした。

 サークルで出会った親友との離別。
 表面上だけの学科の友人関係。
 誰にも心を開くことなく孤独を覚悟した2年生。
 理想と現実のギャップに苦しみ続けた4年間。
 居場所をなくして暗中模索し続けた4年間。
 孤独に苛まれた4年間……。

 大学4年間は決して忘れることのできない闇の歴史として、今もなお、私の胸の中に刻み込まれています。


 なぜ、私が24になった今、大学生活の回顧録を綴ることになったか。
 それは今もまだ昇華しきれない切ない思いが心の奥に籠っているからだと思います。

 あの時、あの選択を選んでいなかったら……・。
 戻れるものなら当時にタイムスリップしてやり直したい。

 決して戻ることのできない過去ですが、人生の選択を誤った私が、実際に体験した大学生活を包み隠さず明らかにする
 ことで、多くのメッセージを贈りたいと決意して、今回筆を執りました。
 
 大学の友達は一生の友達だ。
 大学はサークルの人間関係が一番だ。
 大学は人生の中で一番楽しい4年間だ。


 多くの先人達が異口同音にして叫んでいました。
 
 でも、私が体験した大学生活は、これらの理想像とはかけ離れたものでした。

 大学進学を志すにあたって、大学の実態を知りたい受験生のみなさんに向けて、受験雑誌や予備校、塾では教えてもらえない
 「大学生活に居場所をなくした人間の実態」大学生活の裏の部分をテーマに描いています。
 また、大学に進学したものの、まさに大学選びに後悔していたり、居場所を見失って孤独に苛まれている方に多くのメッセージを
 添えております。


 「大学シリーズ」の最終章は、私自身の実体験をもとに公開して、幕を閉じます。

    
 - 2001年11月大学現役合格決定 -


   「K大学合格おめでとう!!」


   2001年11月下旬、1時間目が終わって間もなく、担任の内藤先生から一報で、
  私が学校推薦入試で受験した「K大学文学部」合格の吉報を耳にした。

   これで、大学受験のプレッシャーから解放され、自分も東京の生活をエンジョイしまくれるぞ!!

   わずか2ヵ月後に控えたセンター入試、そしてそれを皮切りにはじまる一般入試をパスして、
  この時期に大学に受かって芽生えた感情は、嬉々とするよりも安堵や解放感の気持ちのほうが大きかった。
   周りを見渡しても、この時期に既に大学に合格しているのは、私を含めても2人のみ。
  一人目の彼は9月の時点でAO入試で私立大学に合格しており、私はその彼に次ぐ二人目の合格者だった。
   私はこの試験に落ちた暁には、浪人生活を覚悟していたくらい推薦入試に賭けていた。


  - 私の出身校は-

   私の母校はマンモス校で、全体の生徒数は1500名を超えており、一流大学を第一志望に目指す特別進学類型を筆頭に、
  普通科、商業科、体育科、芸術科、留学科など、その一人一人のニーズに合わせられるような多様なコースが設けられている。

   私の所属するコースは、普通科進学コースと呼ばれる位置づけで、 「私立大学への現役合格を目標に、日東駒専レベルを目指すこと」
  をモットーに、中堅私立大学への現役合格を志す者が多かった。高校偏差値でいうところの51くらいのレベルだった。

   推薦か、一般受験か、二者択一の大学受験入試であるが、現実的には大学合格を目指す我がコースの半分以上の生徒が、
  AO、指定校及び学校推薦入試で合格を手にしていた。
  卒業後、人づてに聞いたのだが、残りのわずか10%だけの生徒が一般入試で合格を手にでき、40%の生徒は、短大、専門学校
  または浪人の道に進んだそうである。
 

   この事実を見てもわかる通り、私の出た進学コースでは、当時一般入試、ついては全国レベルについていけるだけの体制は
  整っていなかった。また、女子を含め全体の40%は専門学校もしくは短大に進んでおり、難関大学への受験を志すモチベーション
  を持っている者はほとんどいなかったのだ。

   とにかく平均並みの大学に楽して受かればいい、私をはじめ多くの学生が同感しているような空気が常にコースに漂っていた
   (もちろん私はその空間が心地よかったのだが)。


  - 勉強嫌いの私が代ゼミに通っていたわけ  -

   私は高校以前から勉強が好きではなかった。
  中学時代も成績は常に学年で平均レベルだったし(125人中50番くらい)、特に中学2年生以降の理数系科目になると、
  ちんぷんかんぷんで、教科書の説明を見ただけで脳が拒絶反応を示し、全くもって向き合おうとしなかった。
  当然のごとく、理科と数学に関しては通知表の成績は常に5段階中の2〜3だった。
   
   私は当時代ゼミに通っていたが、それも世間一般のかくある受験生像に合わせるべく、形だけ勉強しているつもりを取り繕うために
  わざわざ親に懇願し、高い受講料を払ってもらい通学していたのだ。
   当時受講していた科目は「センター英語」「センター国語」「小論文」対策の3教科だったが、小論文科目は推薦入試対策として大いに
  意義があり主体的に取り組めたのだが、センター対策の2科目はレベルが高すぎで、ついていくことができなかった。
  従って、決められた時間に授業に参加して、講師が書いた黒板の文字をノートを取るという単純作業だけを繰り返す日々だった。
  肝心の中身の方は全くと言って頭に入ってはいなかったし、異次元に身を置いているようで苦痛以外のなにものでもなかった。
 
   こんな勉強嫌いの自分だったが、勉強嫌いを棚に上げて「一般入試を回避して、いかに楽して大学に受かってやろうか」という
  邪道な魂胆だけは人一倍あったのだ。
   そんな私にとって科目受験を省いた小論文と面接重視の推薦入試は、唯一現役で大学合格できる可能性が見出せた手段だった。

   小論文に関しては、夏期に代ゼミで受講していた小論文対策講座でもそれほど苦にならず取り組めたし、かねてから小説を書いたり、
  国語の成績に関しては良好だったため、「もしかしたらどうにかなるかもしれない」というもくろみがあった。
   面接に関しても、高校入試時やバイトの面接において、経験的にリラックスして突破してきた点から、これもまた自信があったのだ。
 

  -  推薦入試合格に向けて評定平均を伸ばす私の取り組み -

   しかしながら、推薦入試に挑むまでの過程は勉強嫌いの私にとって容易いものではなかった。
  推薦入試に応募した私の最終評定平均は3.9であったが、その数値を築くまでには、相応の努力をしてきた。

   1年次は大の苦手の数学、理科といった理数系が科目に含まれていたため、苦手意識が募り勉強に本腰を入れることなど
  出来なかったのだ。1年総合の評定平均は3.2。数学と理科はともに3.0で、その数字が固まってしまったまま2年次からの
  文系コースでの成績、評定平均に引き継がれることになる。

   もともと入学当初から推薦入試を志していたわけでもないし、1年次は中間、期末テストに本腰を入れていたわけでもく中学同様、
  成績はクラスのど真ん中だったのだが、高校2年の1学期にそれまでのテストに対する怠惰な考え方が覆った決定的な出来事が起きた。

   高校1年次から同じクラスだった、友人が高校2年の初めての中間テストで25人中8番を記録したのである。
  1年の頃は私と肩を並べていたクラスで平均的な成績だったのに、2年になって彼が苦手な理系科目が一切なくなって、文系科目のみに
  なった途端、成績が飛躍した彼を見て、置いて行かれたような焦燥感に駆られ、「このままではいけない」と、触発されたのだ。
   加えて、クラスで5番以内に入れたものは、みんなの前で担任の先生から順に名前を発表してもらえるVIP待遇だったのも手伝って、
  目立ちたがり屋な自分のモチベーション維持にはかっこうのネタだった。

   元来、文系科目だけならば、1年次もそこそこの成績が取れていた自分だったので、本気を出せば5位以内くらいには入れるかもしれない
  と、期末テストにはそれなりに勉強して臨んだ結果、クラスで4位を記録することができた。
   生まれてはじめて、4位という好成績を記録できたのは大きな自信に繋がり、はじめて「やればできるかもしれない」確信が芽生えたのを
  今でも鮮明に記憶している。
   その後も、推薦入試の応募条件として求められる3年の1学期まで、右肩上がりで評定平均を上げることに成功していった。

   しかし、3年の夏休み前に行われた三者面談では、担任の内藤先生から、「この評定平均(3.9)では、推薦をねらうにしても、大東亜帝国
  クラスが限界かもしれない。全国のライバルを相手にするには日東駒専クラスは最低でも4.0以上はないとかなり厳しい」
  と、非情な現実的アドバイスを浴びせられたので、さすがにこれまでの努力が一瞬にして水の泡になったようで凹んだ。
   追い討ちをかけるように、3年の9月に学校全体で受けた代ゼミ全国模試の3教科(英国社)の平均偏差値も46。
  どうみても、一般入試で日東駒専レベルの大学に立ち向かうためには絶望的な成績を目の当たりにした。
   一夜漬けや短期間の勉強方法で通用する中間・期末テストとは比べ物にならないくらい広範な出題範囲の一般入試には流石に生半可な
  知識では太刀打ちできなかった。

   この時の危機感から初めて推薦入試一本の覚悟が決まったのだ。

  自分には推薦しかない、もしも推薦で敗北した場合、必然的に浪人の道が開かれるのだ。
  
   試験当日まではかつてないプレッシャーと常に隣り合わせて高校生活を過ごしており、伸るか反るか、背水の陣の挑戦の結果、
  偶然にも「合格」という未来への切符を難なく手にすることができたように思えるが、冷静に振り返ってみれば、合格は必然ではなく、
  むしろ不合格の要素の方が高かったように思われた。

   まず、その理由として挙げられるのが必要な評点平均である。

  推薦入試の条件として、

  1.全教科評定平均が4.0以上であること
  2全体の評定平均が3.5以上か特定の教科の評定が4.5以上であること

   のいずれかであったのが、応募する前の最終段階の私の評点平均は3.9であった。
  現実にはたとえ0.1足りないだけでも、却下なのである。
  ところが、ギリギリの条件に当てはまらなかった私の成績であったが、幸いなことに、もう一つの条件であるの点に、
  これまたかろうじて一致したのである。私の国語の評定は4.5だったので、滑り込みセーフだったのだ。

   当時現代文、日本史、音楽、体育・・・・・・多くの先生方から異口同音に
  「実際推薦を受ける生徒の評定平均はかなり高いんだ。
  3.5必要な学科だとしたら、最低でも4.0(+0.5)くらいの生徒がごろごろいる。
  だから、評定平均は求められる学科の標準よりも、高いに越したことはないんだ」
  
と、口を酸っぱくして説かれていたので、それをお呪いのように聴かされていて鵜呑みにしていた私は、
  殊更自分の条件では、同じ大学、学科を受けるライバルたちとのハンディを覚悟していたのだ。


  - いざ決戦!推薦入試当日の詳細 -

   こうして万全の準備とは言えない状態で迎えた受験当日だったが、事実、試験の手ごたえは実に微妙だった。


  試験の種類は面接と小論文の二つだったのが、どちらも感覚はいまいちだったのだ。

  -午前の面接官の問いの流れ-

  面接官:問1.「あなたが好きな作家は誰ですか?」
  私「芥川龍之介です」
  面接官:問2.「では、芥川の何の作品が好きですか?」
  私「一番好きなのは杜子春です」


   事前に担任の内藤先生と放課後数回にわたって面接の練習をしていたので、絶対この質問だけは聞かれると
  想定していた問いの一つが聞かれたから、満を持して答えたのだが、問題はその次の展開。

  面接官:問3.「君は芥川の中でも児童向けな作品が好きなんだね。じゃあ他の作品で好きなのはない?」

   2つ以上の作品を聞かれるとは、想像していなかったのに加え、当時芥川に知悉していたわけでも、格別好きと言える
  わけでもなかったので(あえて日本文学の世界で1人だけ挙げればこの人というくらいの存在)、他作品で詳しいのはな
  かったのだが、とっさに高校1年の国語の教科書で習っていた「羅生門」を思い出し、「杜子春」とテーマが共通していたの
  をとっさにひらめいたのだ。

  私「羅生門です。テーマが杜子春と同じく人間のエゴイズムを描いているから好きです」
  面接官:問4.「なるほど、では、下人の立場、老婆の立場をそれぞれ考えた上で、彼らのことをどう思う?」

   そもそも付け焼刃で口に出した「羅生門」であったが、かなり突っ込まれたため、引くに引けない状態になってしまった私は、
  付け焼刃でも勢いで答えるほかは無かった。

  私「もし自分が当時の下人や老婆の立場だったら、正常な判断がおぼつかずに、同じようなことをしてしまうかもしれないです」

   と、当たり障りのない答えを出したと同時に、
  面接官「わかりました。では、これで面接試験は終わりです」との意表をついて一言で、あっけなく面接は終了してしまった。

  結局面接の練習で、用意していた一問一答の模範は、9割以上出されず、志望動機と、学科に関する数問だけで評価されて
  しまうのだ。終えてみて、とてもじゃないけれど、大学や文学に対する情熱を面接官に伝えられた自信はなかった。


   そもそも私がK大学を志望した理由は、

  1.自分の偏差値よりは高いし、世の中ではそこそこの大学と位置付けられている標準的な大学だから。
  2.国語の成績が一番良かったので、文学部に、そして図書館司書教諭と国語の教員免許がとれるから。
  3.立地条件。都会のど真ん中で、新宿、渋谷を謳歌できるから。
  4.大学のキャンパスツアーに行った時、キャンパスの雰囲気がおっとりしていて気に入った。


  という短絡的な考えからこの大学を選んだのだった。

   大東亜帝国(大東文化、亜細亜、帝京、国士舘)クラスになると、偏差値は基準(50)より低い学科があるので、プライドが許さない。
  だからといって、MARCH(明治、青学、立教、中央、法政)クラスを第一目標に目指しても、現実的にどんなに最低でも偏差値55以上は
  要されるし、そのクラスの大学勢は学校推薦入試はほとんどなく、あったとしても4.0以上が最低条件なところが多く、自分の成績的を
  当てはめると門前払いなので、その中間に属する日東駒専クラスが妥当な線だという結論に達したのだ。
  
  こうしてみるとわかる通り、当時の私の大学選びの基準の絶対条件は、右にも左にも"偏差値"だったのだ。
 
     こんな邪な動機だから、面接官に下心を見抜かれてもおかしくなかったのだが……

  午後の小論文の記述も、正直「よくできた」といえたものではなかったが、代ゼミの夏期講座で受講した「小論文対策講座」で体得
  した技法が、微力ながら発揮できた感触はあった。テーマは違えど、いわゆる、起承転結、序論本論結論といった小論文の
  普遍的な型は、同じであり、ひたすら書く練習をしてきた経験を応用出来たからである。
 
  問.「日本文学と女性」についてあなたが感じたことを800文字以内で書きなさい。

  という問題だったのだが、事前に過去3年の過去問題を入手したところ、この大学は「日本文学と家」「日本文学と道」というように、
 共通のテーマが使われていることがわかったので、予め代ゼミの講師や学校の先生に過去問の答えを添削してもらっていたのだ。

  試験前に「日本文学と自然」か「日本文学と女性」のどっちかが出されのではいか、なんて憶測を重ねていたのだが、
 問題用紙を表にしてビックリ!まんまと予想が的中したのだ。
  面接終了後のお昼休みの時間に空想していただけだったが、棚から牡丹餅、思いもよらない幸運が後押しして、筆は進んだ。

  ところが、致命的なミスで、腕時計を忘れてしまい、時間の感覚が完全麻痺した上に、隣の席の受験生がやたらと大きな音を出してカリカリ
 文章を書いている音で集中力が途切れそうになったりもしたが、とにかく何か書かなければ終ってしまうプレッシャーに支配されていたため、
 目の前の課題に尽力し、他人の一挙一動に意識を取られている余裕はなかった。

  内容としては、日本文学の世界においては、近代の太宰治、三島由紀生、川端康成といった文豪と呼ばれる人間は、多くが男性
 であり、日本文学の歴史を見ても男性中心に手がけられてきたのであるが、たとえば与謝野晶子のような女性特有の感性溢れる
 表現力で世に残る大作を上梓した女性作家も確かにいた。女性の立場なくしては、現代の日本文学はありえないのである。


 上記のような、女性作家の存在の意義を唱えるようなもっともらしい文章を800文字ぴったりくらいで書いた。

  感無量ではないが、採点基準は全く分からないのだし、とりあえず全部埋めることができた達成感と、試験が終わった解放感から、
 肩の荷がおりて一安心していた。後になって、冷静に振り返ってみたところ、与謝野晶子の"与謝野"の漢字を"与佐野"と書いたり、結論で
 論理性が不十分なまま、女性の尊さをこじつけてしめてしまったりと、結構ミスがあることがわかったが、極力考えないようにした。

  
 - 合格直後の私の心境 -


 こんなあっさりと合格を手にしても良いのだろうか・・・・・・


  自宅に帰ったあと、実際に合格通知を目にして、あの出来で、受験戦争といわれている大学受験があっさり終止符を打たれて
 しまったあっけなさに、一種の恐怖に似た絶妙な思いが生じた。

 評定平均ギリギリなのに受かってしまった。
 面接時のあの答え方と、あの文章力で受かってしまった。
 代ゼミ模試の平均偏差値が46前後なのに、偏差値54の学科に受かってしまった。


  私が合格した大学は"日東駒専"と呼ばれるようないわゆる全国の大学の中では中堅クラスの大学であるし、一般受験で合格できた
 わけではないので、合格の難易度は異なるだろうが、たとえ推薦入試だとしても、想像していたよりも、容易く合格してしまったので、
 大学受験そのものに対するイメージのギャップに動揺せずにはいられなかった。
 
   受験戦争というものは世間が作り出した虚像だったのだろうか。

  蓋を開けてみれば、案ずるよりも生むがやすしで、偏差値概念に捉われすぎていた自分にとって、合格の尊さや意義がはっきりと
 はわからなかったのだが、その時は、不安よりも先に早くして一足先に大学へ進める希望の気持ちの方が勝っていた。
 この後大学に入って実感することであったが、この時点で生じたこの拭いきれない違和感は間違いなかった。


 
  合格の2文字を目にしながら、その軌跡を思い出して、「自分は受験に力を入れなかった分、テストをがんばってきたんだから
 臆することはないんだ。推薦でも、合格は合格だ」と、自己暗示をかけて、心の中に芽生えていたモヤモヤを鎮めさせていた。
 
   - 合格後、それから -

  年末になり、他の受験生が一般入試で本格的に忙しくなる中、私は一人新しい生活に胸を膨らませ、一人暮らしのアパート探しに
 本腰を入れたり、大学のパンフレットを眺めたり、自動車免許を卒業までに取得するべく、教習所通いに本腰を入れたりして、
 残された僅かな高校生活をエンジョイしていた。
  あの時、心の底に広がった合格への違和感や、時を同じくして受験に必死になっている同級生に目もくれず、むしろわざと目を
 背けて、開かれた未来に期待を膨らませていたのだった。

  大学にいったらかわいい彼女を作って、同棲してテニスサークルに入って、友達作りまくって遊びまくるぞ!!
  一人暮らしすれば、毎晩好き放題ゲームも出来るし、彼女も呼べる。
  もう煩わしい勉強は高校時代で卒業だ!! 

   
  2月下旬になると、「大学=サークルといても過言じゃない」とこれまで出会ってきた先生から異口同音に聞かされてきた自分は、
 持て余す時間を使ってサークル探しに躍起になっていた。
  
  当時はやっていた週刊少年ジャンプ連載の「テニスの王子様」に触発された私は、運動嫌いにかかわらず、ソフトテニスだけはそこそこ
 できたこと、テニスは万人受けしてかっこいいイメージがあるのを理由に、入学後はテニスサークル一本に絞るすることを決めていた。
  インターネットで、K大学のテニスサークルのHPをリサーチし、数あるテニスサークルと比較しながら第一印象が良さそうなサークルを絞った。
 その結果、イベント毎の写真を見ていて、雰囲気がまったりしていて、テニサー定番の飲み会も「アルコール苦手な人でも全然OK、強制は
 しないし、ソフトドリンクも用意しています」とうたっていたサークル「ウイング」が自分にもっとも合っているように感じられた。

  テニスの練習よりも、飲み会の方に力を入れているサークルが大多数なようで、かねてからアルコールに苦手意識を持っている自分
 にとって、このウイングは条件的にもっとも自分を迎合してもらえるような印象がした。
  ウイングの「新歓コンパ」「春テニス合宿」「夏合宿」「クリスマスパーティー」「追い出しコンパ」などの季節別のイベント写真を眺めていると、
 高校生の自分が体験したことがないような胸が躍る未知の世界がそこにはあり、俄然この世界に足を踏み入れたい衝動に駆られた。
  

  3月上旬、勇気を出してウイングのHPの掲示板に、

  新しく入学する隆と申します。新入生説明会は必ず行きますので、よろしくお願いします!

 と第一声を書きこむと、その数時間後にウイングのメンバーらしき一人から

 「隆君、はじめまして、大歓迎だから部員一同当日楽しみに待っているよ!」

 とレスをもらえた。
 その返信を見た私は、高校生という立場を忘れ、いち早く大学生としてウイングに入部したような錯覚を覚えた。

  誰もが羨むかわいい彼女と出会って同棲して、卒業後には正社員でバリバリ働いて25になったらその彼女と結婚して……
 渋谷、新宿、原宿若者の街を駆け巡る自分を想像して、入学前の数日間は夜も興奮してなかなか寝付けなかった。
  

   東京の大学に行けば平凡だった自分の人生が劇的に変わる。
   勉学の柵からようやく解放された順風満帆なバラ色のコースを思い描いていた。
 
   この時点では、大学=恋愛に、友情に、4年間遊びにいくための場所だと認識していた。
   大学に入れば、自動的にそういう出逢いが用意されていると妄信していた。

  田舎出身で、弱冠18の私にとって、東京の大学に進学すること=刺激や好奇心を満たすため以外のなにものもなかった。
 そのエゴイズムから、両親を捨て、寂れた古巣から逃れるかのように、東京の生活に心を陶酔させた。
  実際、中学、高校と築き上げてきた友人と、生まれ育った群馬から離れることに未練が全くなかったわけではなかったが、
 それ以上に東京の持つ魅力に吸い寄せられていた私には、後ろを振り返る必要はなかった。
 

 地に足がついていないその当時の私は、己の盲信に気づくよしもなかった。

 あっという間に卒業を迎え、4月1日に私は地元群馬を離れ、単身新天地での幕を開く。

 ⇒大学入学編へと続く


※ ここに登場する人物や団体機関の名称は仮名です。
  また、一部大学を批判の対象として記述している描写もありますが、決して誹謗・中傷目的として捉えているのではないことをご理解ください。

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